≪花談義618≫ 春が来た。砂古さんからのお便りです。

 

皆さん 砂古です

花名ブーゲンビリアはポルトガル語でPrimavera(春)です。

寫眞は今、我が家のヴぇランだで春の到来を告げ、5年制度の旧制中学で習った英語で,動詞の現在完了の例文だった

Spring has come を思い出させます。

フランスの探検家ブ-ゲンビリアはこの花を原産地ブラジルで発見し

た名つけ親です。 太平洋のソロモン群島でのブーゲンビリア島も

彼の発見によるモノです。傍のガナルカナル島でもブーゲンビリアと同じく日本軍全員玉砕した事を戦中派の僕は思い出します。あの頃は佐賀中学2年生250名全員がクラス担当教師5名と共に、隣県の川棚海軍工廠に学徒動員で魚雷の製造工員を一年間に亘りさせられて、寝泊まりは冷たい風の吹く山の上の徴用工員に作られ木造のバラックで食事は悪く、戦況も悪く、どうなる事かと希望の持てない大変憂鬱な毎日でした。

 

 

スナゴさん 

四季のはっきりしない所で暮らすと、季節が良く分からなくなりますね。ブラジル生活45年の実感です。

日本で育った、小さかった頃の春、というのは何か煌めくような心の喜び、みたいなのがはっきり自覚出来て、世界(環境)が暖かくなり始めた、というのが体で感じられました。

野に山に🦋が飛び始め、桜が一気に咲いて、菜の花も絨毯のような感じで、気持ちもウキウキした記憶があります。

貧乏でしたが、それは戦後のドサクサの続きだったようで、みんなが同じような感じでくらしていた、ような記憶があります。

貧富の差が余りなかったようです。みーんな苦しかった。

私の時代、ものは豊かではなかったですけど、戦争もなく、何も深刻に思える憂欝がない状況だったので、良い時代だったと今は思います。私は戦争体験がない世代なので分かりませんが。

人間は豊かになると、逆に憂鬱が出てくるもの、みたいな感じが最近は有ります。

世界が広くなりすぎて、自分たちだけ幸せでいられる、ということが難しくなったのかもしれません。

文明が進んだら楽になるか、と思ったら逆に制限や憶えなければならないことが増えて、昔より普通に暮らすことが難しくなった??? ように私は思います。

それが、戦争中とは違った、今の進歩した?憂鬱な人間社会なのかもしれませんね

   サンパウロ   マツエ