≪花咲爺の会とイペ音頭に寄せて‼≫ 中平マリコさんからのお便りです。
 
和田さん、井川さん、花咲爺の会の皆様
 
横からお邪魔します。
「第2 イペサミット」後にこの様な展開がくるとは思いもしませんでした。
皆さんの遣り取りを全てを読ませていただいたわけではないので『馬鹿者 !!!』と言われるかも知れませんが、
井川会長からご指名いただき応援歌を作った者として一言。本当に悲しく、残念な会話にただただ驚いています。
 
「花咲爺の会」の名称変更は断じて反対します。
この歌の最後の決め(結び)台詞は会の名前を使用しているのですよ
昨年の活動中、歌う前になぜこの歌なのか?を知らせるため、ポルトゲスで A4 1枚分の説明をしていました。
公式の体操を創作してくださったブラジル健康体操(1200名)の方々は意味を知り、「花咲爺の会」の普及に努めてくださっています。会の存在は既に多くの人が知るところとなっています。
 
私は、祖国日本を離れ、今ではブラジル国花イペ咲く場所に根を降ろされ頑張って居られる和田さんが、純粋に、単純に祖国の方々に自分の住む国の花イペを見せたいと思い呼びかけておられたところにイペの美しさを日本にと同じ気持ちを持つ方を探しておられた前田さんがジョイントされ、今に至ったと思っていました。
確かに、有隅先生、前田さんがご苦労にご苦労を重ね品種改良なさったからこそ「今」があると思います。
費やした時間、費やした費用、健康な体でない中での努力...本当に大変だったと思います。
 
でも、それを言うなら私も同じです。曲を作り、編曲を頼み、レコーデングするためにスタジオを借り、歌を録音し、録音した全ての音(楽器)のバランスを取るために別のスタジオで編集作業に入り、出来上がった音源をCDに焼き付けるために原盤を作り、その原盤をプレスする。
デザイン面では、CDの表紙等全てのデザイン依頼し制作してもらい、プレスしたCDとデザインされたジャケット等の梱包作業をしてもらう等々、1枚のCDを仕上げるのにも、かなりの時間と、手間暇と、人の数、経費がかかります。
 
それらを一々、誰がここまでしたか???とか、権利がどうのと言ってしまったら、日本に素晴らしいブラジルの国花、移民の歴史etc等々を残し伝える『ロマン』はなくなってしまうと思います。
「花咲爺の会」に関わってこられた方々お一人お一人が頑張っておられたのではないでしょうか?
それぞれ語れぬ事情があれど、自分の出来る範囲で助け合い、協力し合うから素晴らしいと思います。
その期待に応え、きっとイペも花開いてくれると信じています。
お互い様に、まずは『ありがとう』と何方にでも「感謝」の気持ち、敬意を表するのが本当だと思います。
 
井川会長、『いないよりまし』なんて情けないことを言わないでくださいよ。とても、いえ、十分 頑張っておられるではありませんか? 皆んなが見ておられると思いますよ。
「花咲爺の会」は、組織じゃなくても、よちよち歩きでもいいじゃないですか? ど素人でもいいじゃないですか? 誰でも、どんな場合でも最初はど素人だと思います。
 
移民され方々は、ここを開拓したら『こうなるだろう!』などと思って移民されわけではありません。それどころか、最初に提示された場所とは違う所に入られ、語ることのできないご苦労をされたのです。
13年の間、いろいろな場所のお年を召した方々はよく聞かせてくださいました。『マリコさん、あの木を見て、薄いピンクの花が咲くのよ。
 祖国日本の桜みたいに綺麗に咲き誇り、潔く散ってゆくのよ。
 移民してから駄目だった時、何度もあの木(花)に慰められ、 励まされ、勇気付けられて来たのよ。』と。
その移民者の心を支えてきたブラジル国花イペのことで、悲しい遣り取りをしていたら、先人の方々に申し訳なく恥ずかしいです。
 
まだまだ、いろいろなことが予測できる現在だから良いじゃないですか?
この会ができた時の初心に戻り、日本の皆さんに自慢できるイペの花を咲かせてくださいよ。イペの花も期待を裏切らず、素晴らしい花を咲かせてくれると思います。
 
私が「イペ音頭」を、ブラジル各地で歌う時、祖国日本を旅立った人が2つの国を思う心からこの活動が起きたことを伝えています。
会場にいる人達や、CDを買い求めてくれる方々は、「有難いね。自分の出身地にもいつかは咲くだろうか?」とか、「この花を見て、移民した私たちを思ってくれるだろうか?」とか、「忘れられた存在を嘆いていた先人の人たちも、さぞあの世で喜んでくれているだろうなぁ〜」とか… 様々な思いを胸に抱き期待されています。その思いを話してくださいます。
 
この人たちは、この様な事になっているとはつゆ知らず、「花咲爺の会」に夢を抱き、「イペ音頭」を手にし、歌い、踊ってくれています。
私はこの歌を通して、ブラジルに居られる移民の方々と過去の思い出 話しをお聞きし、そのお話を日本に持ち帰り、いろいろな場所でお伝えしながら「イペ音頭」を歌っています。
特に被災された方々は、移民者に心を寄せられることが多く心開かれます。
今現在も放置された被災者がいるのが事実ですから
 
本当は、W50の中でのやり取りを知ってから、「イペ音頭」を歌う時、とても複雑な気持ちになっていました。
書き込むべきか、傍観者でいるべきか、迷いましたが、思い切って書き込みました。ごめんなさい。生意気なことを書き記しました。
私の書き込んだ内容で波紋が起きるとしたら申し訳ないと思いつつも……
勇気と希望、夢と愛、感謝を忘れずに「イペ音頭」の花を咲かせて行きたいと思います。
 
ご気分を害される方がおられましたら『不届き者めが!』と思い、ご容赦の程、宜しくお願い申し上げます。
 
井川会長、頑張って!

ファイト!!!です。

 
中平マリコ
 
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写真は、クリチーバの石田さんが送って呉れたマリコさんです。