≪花談義676≫ しゅくこさんの松栄さんへの花談義の返信が届きました。
マツエさん、以下の投稿を50年に送らせていただきましたが、わたしのほうの受信欄には
はいってきませんでした。マツエさんの受信欄にはとどいていますでしょうか
マツエさん & みなさまへ
しゅくこで~す
散歩道の児童公園
裏庭をほったらかしていたら、赤じそと青じそのジャングルになっていました。
それをサウナの仲間にいうと、「わたしなんか、しょっちゅうスーパーで買ってるのに。
だったら、ちょうだいよ~」と言われました。
それでさっそく収穫をはじめました。
いつ頃だったか、庭の枝葉にセミの抜け殻が爪をたてて、がつちりしがみついているのをあちこちで見ましたが、8月に入ったいまはもう、セミ時雨がシャンシャンシャンと降り注ぎ、空気の層を揺さぶるほどになっています。
日本の夏の風物詩。いとおしく感じる一人です。
しそを胸に抱かえられないほど刈り取って、台所の流しの水でじゃぶじゃぶ洗い、虫食いの穴の開いた葉は自宅用のジュース用にと分けました。
赤じそジュース、ゼリー、紅ショウガ、青じその韓国風佃煮を作ったりしながら、これを書いています。
韓国風の青じそ佃煮は、生のままの葉をごま油、醤油、みりん、すこしの豆板醤やニンニクに一晩つけて、白米の熱々のごはんにのっけます。これは夏バテにもってこいです。
できあがったものを改めてみると、あの雑草のようなシソの束は、ちょっと手を加えるだけで、元の姿が新しい美しい芸術品に産まれ変わりました。
その変化をつくづく眺めていると、自然はどこまで豊かな恩恵をわたしたちに授けてくれているんだろうと、感謝せずにはいられません。
上からジュース、ゼリー、紅ショウガ
マツエさん、ほっとする ききょうのお話、たのしく読ませていただきました。
ききょうて響きがいいですね、 なぜか、「帰郷」という言葉が連鎖します。
そういえば、「都忘れ」という紫の小菊のようなのもありましたね。
どちらも、なんとなく望郷の響きがあって、日本の古(いにしえ)の時代から歌われ愛されてきた静かな素朴な野の花です。
下の写真は昨年、我が家の狭い庭に数本咲いたききょうと都忘れですが、今年はまだみられません。
そんなことをおもいながら、台所とパソコンを往復していると、ずっと昔流行った、久保田早紀さんの「異邦人」という歌がラジオから流れてきました。
わたしは3年いたアメリカでそのまま移住という手もあったし、その誘いもあったのですが、どうも言葉に自信がなくて、いったん帰国してから、その気になればまたアメリカに帰ればいい、と軽い気持ちで帰国してそのままになってしまいました。
でも、コロナ時代が始まるまでは、年に1-2回は元ホームステイの家族に会いに行っていたのです。
それでも、終の棲家にはなりませんでした。
日本を出て、いろんな事情で海外で暮らしてらっしゃる日本人の方々のことが思い浮かびます。言葉のハンディもあるのに、よくぞがんばっていらっしゃるな~と、感じます。
それでも、都を忘れずに? しかし、コロナ時代に入って、生まれ故郷の日本に帰郷することもそんなに簡単にはいかず、異邦人として生きて行かれる草の根のような力強さを想うと、
心より尊敬と羨ましさをいつも感じます。
「異邦人」をエトランゼといいますが、そんな名前の花があってもいいですね。
マツエさんがききょうの花の前で立ち止まってそれを愛でていらっしゃる姿が目に浮かびました。
ひと段落ついて、わたしもいきつけの花屋に寄ってみたくなりました。
三田の旧市街には、地産地消を推進している農協の大店舗が、たくさんの種類の野菜や花も置いて、開店前は行列です。
でも、花売り場のおばさんは、あまり花についてくわしくありません。
なので、わたしはお気に入りの専門の花屋さんに(下の写真)週に一回くらいは、たのしみで立ち寄っています。
買っても 買わなくても、花屋に入るのは癒されますよね。
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シュッキーさん みなさん
今朝、何故か5時ころ目が覚めて、メール開いたらビックリしました。凄いなーと思いました。
何故か、なぜでもなく1950年8月3日生まれ、なので、今日でちょうど72才になる朝でした。
楽しいお庭に話、ありがとうございました。
母が好きだった、ターシャさんの庭、やこちらのNHK海外放送で放映していたベニシアさんの庭に似てきましたね。
これから仕事に出かけますので、またゆっくり書かせて
頂きます。
サンパウロ マツエ