花談議395≪「夢うつつ」≫ しゅくこさんからのお便りが届きました。
 
多加代さん、
黄桜はしりませんでした。楽しんでらっしゃるようす、わたしまでたのしくなりました。
 
 寒い間、骨折で一か月入院していた東京の旧友が、退院後はじめて 
車で診察にいき、その帰りにこんなメールを送ってきました。
「車のフロントガラスいっぱいに花びらが横切っていきました。折からラジオで新しい元号が発表されています。期せずして、終わることと始まることに思いをはせる帰り道です」
 
皆さまへ
日本はいま桜で埋め尽くされています。その下を買い物やジムまで歩くのは毎日のことですが、先日、近くの武庫川沿いで古典的なお花見に誘われて行ってきました。
川をはさんで往復の桜並木が約5km。まるで雲海の中に迷い込んだような気分です。
芝生の上にビニールシートを敷いて、テーブルや組み立て椅子をセットし、お弁当、ビール、お酒、ワイン、お菓子のかずかず、すべて男性たちがお膳立てしてくれた、いたれりつくせりのお花見は
ちょっと贅沢なお誘いでした。 
 
行きかう人々のなかには犬やウサギを同伴して弁当を開いている方も多かったです。
ウサギは飼い主のそばをつかずかず離れずピョンピョン飛んでいて、目の隅で飼い主の居場所を確認しながら、・・・そんな気遣いのできる? 動物だつたとは知りませんでした。 
さすがに猫はいませんでしたけど、古谷家のクレイトンのことを思い出しました。
 
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このお花見に誘ってくださったのは地元で活発な音楽のボランティア活動をしている、シニア7名 (男性6名と女性1)のグループでウクレレやギター、ハーモニカなど楽器も達者ですがこの日は楽器なしのアカペラでのコーラスが突然始まりました。酔いの程よく入った声ってのびのびしてますね。
 
太い男性たちの歌声の中に、天使の声が舞い降りたような紅一点の友人の声が、同格に堂々とコーラスのなかに織りなしていくSound of music
通りかかった人たちがたちどまり、最後にはアンコールにこたえる程。
 
ずいぶん前ですが、ワシントン州のキティタスという姉妹都市を訪ねたとき、夕暮れ時の芝生のキャンパスで、野生のリンゴがあちこちにころがっている中、地元の歌のグループが歌ってくれた歓迎の楽器なしの素朴な生の声が、どんなに魅力的な力があったか、・・・
 
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同じ日にこの近くの三田市市役所のロビーで、新鋭の若手ソプラノ歌手のコンサートもありました。
 
梅北さんは地元で生まれ、すぐ前の有馬高校を卒業されて、歌手になりましたが、中~高時代に両親を亡くされ、若くして苦労をされている分、いまどきのキャピキャピしたビジュアル系の歌手とは違い、心を打つ深い表現力で胸をわしづかみにされたような感動を覚えました。わたしの仲間の一人がずつと彼女をサポートをしていて、東京上野の音楽堂ではいっぱいの観客を前にすばらしい公演をされたと聞きました。
早春賦、朧月夜、うぐいす、ほんとにきれい、はっか草、みやこわすれ など、春らしい心温まる優しい曲ばかりでこみあげてくるものがありました。
 
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そして、その数日前は、わたしが赤ちゃんの頃から知っている、17才の高校二年生のお嬢さんの、ファゴットの独奏を聴きに行きました。彼女はわたしたちの英語グループの一番若いメンバーのお嬢さんで、幼稚園の頃から一緒についてきては一人静かに折り紙をしていて、会が終わるとみんなにそれぞれの折り紙をプレゼントしてくれました。
 
小学校になって私の乗馬仲間になり、将来牧場を経営すると言いはじめました。
「シュッキー、わたしの牧場で雇ってあげるからね」とそっとささやいてくれた少女。
「でも、100才くらいになってるよ、働けるかしら?」とわたし。
 
「大じょうぶよ、テラスにロッキングチェアを置いてあげるから、ただそれに揺られていればいいの」
そんな会話を10年くらい前にした彼女は、いまでもその言葉は覚えているよ、と笑っています。
 
ファゴットは高さ140cm, 5kg. 楓の木管楽器です。オーケストラでは目立たない存在ですが、これがあるだけで、交響楽は深みと味が変わってくるとか。その響きは、吸いも甘いもかみ分けた素敵な熟年のおじさんのような低音・・とでもいいましょうか。
 
彼女の白魚のような細い指がその木の肌を跳ねると、不思議にセクシーなおとぼけ感のある音色になりました。窓いっぱいにひろがる遠景をみながら、演奏後はケーキと飲み物がでて、わたしはロッキングチェアに揺られる夢うつつのなか。
 
あら、ながながとごめんなさい。みなさまごきげんよう
 
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